大切な肝臓

 まずはじめに、肝臓とはどのようなものなのかをよく考えてみましょう。とても大切な臓器であることは、すぐわかります。必要で重要なことを「肝心」または「肝腎」といっている位ですから。若い人の会話で「これがこの製品の“キモ”なんだ」と言っているのを耳にしますし、年輩の方々は「あの人は“肝っ玉”が座っている」ともいわれます。どちらからも、肝臓がとても重要であることが察せられるではありませんか?

 体の中で、生命維持に必要な臓器と、そうでない臓器があります。生命維持臓器の代表的なものとして、心臓と肺があります。死亡の定義は、心臓の動きが止まり(脈が触れなくなります)呼吸しなくなる(息ができなくなります)の二点ですから、これら二つの臓器は生命の維持に必要不可欠です。肝臓の機能が全く止まっても、すぐに死亡する訳ではありませんが、数日で確実に死に向かいますし、腎臓が働かなくなっても、同じことです。でも、不思議なことに、一番大切なようにみえる脳は、生命に不可欠ではないのです。ですから、体は生きていても「脳死」という状態が成立するのです。

 肝臓は、体中で一番大きな臓器で体重の約50分の1に相当し、重さが1,000から1,500グラムもあります。お腹の上の方にあり、心臓と肺のように肋骨で守られているので、とても大切にされていることがわかります。実は、紀元前の大昔から、肝臓は体中で一番大切な「生命の座」であると考えられてきました。肝臓を英語で "Liver" と言いますが、生命も単数で "Life" 複数では "Lives" ですから、響きがとてもよく似ていて、やっぱり語源が同じなんだそうです。ドイツ語ですとそれぞれ "Leber" と "Leben" ですから、もっとよく似ています。つまり、肝臓は「生命」そのものと考えられてきたようです。

 肝臓の歴史

 そんなわけで紀元前数千年から、人々は肝臓に大きな関心をよせてきました。何しろ一番大きな臓器ですし、血液がたくさん詰まっていますから、生命の源とみられて当然です。でも、注目された理由がほかにもう一つありました。羊を一匹犠牲にしてその肝臓を取り出し、色かたちと表面の状態から人の寿命や運命、そして戦争の勝ち負けまでをも占っていたのです。羊にはいい迷惑だったかもしれませんが。たとえば肝臓の端が右に垂れていれば、病気が回復する兆しであるとされていました。また、肝臓の右下についている胆嚢が長ければ、余命が長いことの象徴でした。遺跡から発見された肝臓の土器模型では40もの細かい部分に番地が記されていて、どこをみたらよいのか詳しく示されています。また、肝臓を手にして調べている人を図案化した壺などの容器も、多数発見されています。これを "Hepatoscopy" といっていましたが、"Hepato" は肝臓を表す接頭語で "scopy" は見ることです。ですから「肝視術」とでも云ったらよいのでしょうか(図1)。

 肝臓はとても大切なので、その機能にはかなりの余裕がもたされています。動物実験で、手術して肝臓の大部分を切り取り、僅かに数分の一だけを残しておいても、十分に生きていけます。それどころか、そのあとで残った肝臓がどんどん大きくなっていくのです。肝臓が小さくなると、肝臓を大きくするための指令が下り、その働きを持つホルモン(肝細胞増殖因子)が血液中に分泌されて、そのために肝臓の細胞が再生するのだと考えられています。肝臓の持つこの働きは、旧約聖書にまで辿ることができます。

 プロメテウスは、一番偉い神であるゼウスの目を盗んで、人間に火を与えました。それがゼウスに知られてしまったために、ゼウスはとても怒りました。懲罰として、プロメテウスは岩山に鎖で縛りつけられる羽目となったのです。そして動きがとれないプロメテウスのところに大鷲がきて、肝臓を食べたのです。しかし、翌日になると、驚いたことに肝臓は元通りになっていたというのです。かくしてプロメテウスの苦難は毎日続くことになるのですが、肝臓の強い再生能力を示す最古の逸話として、広く知られています(図2)。

 肝臓に出入りする血管系と胆汁の分泌

 体中を血液が循環しています。血液は心臓から動脈を通じて全ての臓器にいき渡り、酸素と栄養を補給しています。個々の臓器で生じた炭酸ガスと老廃物を静脈血が心臓に運んで、肺で炭酸ガスを排出して代わりに酸素を補給します。このために、動脈血は鮮やかな赤い色をしていますし、静脈血は黒ずんだ色をしています。街でよく見かける床屋さんの看板で、赤い線と青い線が螺旋状にくるくる回っていますが、それぞれが動脈と静脈を象徴しているのだそうです。昔は医者と床屋さんは同じ人がやっていたみたいです。鋏と剃刀を使いますから、多分外科医だろうと思いますけれども。

 肝臓だけは特別扱いで、血管系が三つあります。動脈は主に酸素を供給するのが目的です。他に「門脈」が入ってきますが、これは胃腸から吸収された栄養分を肝臓に運ぶことが主な目的です。他に脾臓からの血液も門脈に合流しますが、何でそうなっているのかまだ分かっていません。なにしろ脾臓がなぜ必要なのかすらよく知られていないのです。肝臓から出る血管は肝静脈だけで、一本です。一分間に肝動脈から300ミリリットル(mL)、門脈から1,000 mL、合計で1,300 mLの血液が肝臓に入ってきます。これは、心臓が一分間に送り出す血液の約4分の1に相当します。肝臓の重量はは体重の50分の1ですから、重さに比べてずいぶん大量の血液が流れ込んできます(図3)。

 肝臓は胆汁を分泌します。一日に250〜1,500 mLもの胆汁が胆管を通って胃に隣接した十二指腸に流れ込みます。食間には胆汁が胆嚢(50 mLの容量があります)にバイパスされて、そこで10倍も濃縮されます。胆汁の中には、胆汁色素と胆汁酸の他にコレステロールが入っています。胆汁はいったん腸の中に分泌されますが、大部分(80%)が再吸収されて肝臓に戻ってきます。これを、胆汁の「腸肝循環」といっています。

 肝臓の働き

 肝臓は沢山の働きをしています。項目別に並べてみましょう。

(1)エネルギーの貯蔵

 消化・吸収された糖分であるグルコースを重合させて、グリコーゲンとし、肝細胞に貯蔵します。必要に応じてそれをグルコースに戻し、体中にエネルギーを補給します。重さで肝臓の約10分の1はグリコーゲンです。マラソンの選手が何も食べないで42.195キロメートルを走りきれるのは、肝臓にグリコーゲンが貯蔵されているからです。それを増やすために走る前にスパゲッティとかお餅を沢山食べるのだそうです。

(2)解毒

 食物が消化吸収されできた老廃物が、体にとって毒になることがあります。タンパク質が消化されるとアンモニアができますが、これは脳神経系に有毒です。そこで、肝臓がアンモニアから無害な尿素を合成して、尿中に排泄し体の外に出してしまいます。万が一食べ物に毒が入っていて吸収されても、肝臓はそれをグルクロンに飽合させて無害な化合物としてしまいます。腸管から門脈を通って細菌が肝臓に入ってきてしまいますが、99%以上は小さな血管の壁にいるクッパー細胞が食べて壊してしまいます。こうして腸内細菌が全身にばらまかれるのを防いでいるのです。

(3)胆汁の生成

 肝臓は胆汁を作り、胆管を通じて腸の中に分泌します。胆汁は緑色をしていますが、これは赤血球が寿命(約120日)とともに壊れ、その中にあるヘモグロビンが肝臓で処理されてビリルビンという色素になるためです。この他に胆汁酸という表面活性剤を腸の中に分泌して、脂肪を吸収されやすくしています。ビリルビンは腸から再吸収され血液を介してまた肝臓に戻るので、リサイクルされています。かなりの部分が便の中に出ますし、酸化され特有の茶色になったビリルビンが便を着色しています。尿も薄い黄色ですが、これもビリルビンが酸化されて生じた色素によるものです。胆石ができて胆管が詰まったり、肝炎のために肝臓の中にある小さな胆管の流れが悪くなると黄疸が生じますが、これはビリルビンが腸管に排泄されずに血液の中にたまるためです。

(4)いろいろなタンパクとビタミンの合成

 肝臓は体にとって必要なタンパクを沢山合成しています。その代表は血液の中にあるアルブミンと、フィブリノーゲンなどの血液を凝固させるいくつもの因子です。肝臓は一日あたり25グラムもの血漿タンパクを合成しています。がんばれば一日50グラムは合成できますから、体中の血液が半分失われたとしても、1・2週もあれば血液タンパクを元通りに補給してしまいます。油に溶けるビタミンAとDの合成にも深く関わっています。鮫の肝臓からとった「肝油」にはビタミンAが沢山含まれています。

(5)血液の貯蔵

 体の中には体重の13分の1に相当する量の血液があります。体重60キロとして、5リットル弱の分量となります。肝臓にはこの10分の1に相当する500 mLの血液が含まれます。肝臓は延び縮みしてこのほかに500 mLから1リットルもの血液を貯めておくことができます。そして、食後に胃腸で血液が必要になった場合に、あるいは出血して血液が足りなくなった時にも血液を補給する役目をします。

 このように肝臓はたくさんの大切な働きをしています(図4)。ですから、肝臓が人体にとってどんなに大切であるかが、よくおわかり頂けたと思います。従って、肝臓に病気が起こると大変です。でも肝臓は予備能力が高いので、その機能が10分の1くらいにまで落ちても、人間は生活できます。肝臓がかなり悪くなるまで症状が出ませんから、その分、病院に行ってお医者さんに診て貰うのが遅れますし、かえって怖いといえます。肝臓が悪くなる原因はいろいろありますが、一番の敵は肝炎ウイルスです。次回からは、ウイルスによって起こる肝炎(ウイルス [性] 肝炎と総称されています)に的を絞ってお話を続けたいと思います。