肝炎ウイルスの伝染には二通りあります。一つは水・食物を介する経路で、もう一つは血液を介する経路です。ほとんど全てが人から人への伝染ですが、ヒト肝炎ウイルスにかかる動物からも、うつることがありえます。肝炎ウイルスの伝染経路を知っていれば、それを避ける手段がとれますので、感染を予防することが可能となります。

 肝炎ウイルスによる肝細胞の感染

 ウイルスの臓器感染には二通りあります。一方には、一つだけでなく複数の臓器に感染するウイルスがあります。この場合でも、脳だけは別で脳の血管の壁にはウイルスを通さない仕組みがあって、それによって感染を防いでいます。脳は大切ですので、格別な保護がされているのだと思われます。もう一方には、決まった臓器にだけ感染するウイルスがあり、肝炎ウイルスはその代表格です。肝臓は体の中にあって、外に露出していませんから、肝炎ウイルスが肝臓に到達するためには先ず血液の中に侵入する必要があります。血液はあらゆる臓器を環流しています。肝臓を構成する肝細胞の表面には、肝炎ウイルスが付着する「受容体(レセプター)」があって両者がまるで鍵と鍵穴のように、ぴったりと合致します(図1)。肺と腎臓など、他臓器の細胞表面には肝炎ウイルスに対する受容体がないのでウイルスは付着できず、従って感染が起こりません。

 受容体があるから感染が起こるので、それがなければ肝炎は起こらない筈です。そんなものはない方がよほどよいのですが、肝炎ウイルスと人類には有史前からの長いつきあいがあります。それどころか、人間が進化して他の動物と分化する以前から肝炎ウイルスが存在していた証拠もあります。たとえばヒトに感染するB型肝炎ウイルスと、形も遺伝子型もよく似ている動物の肝炎ウイルスが沢山いて、野生の類人猿とサル、ウッドチャック、リスなどの哺乳動物はおろか、アヒル、鶴、サギなどの鳥類にも感染しています。野生のチンパンジーにもB型肝炎ウイルスが感染しているものがあり、ヒトB型肝炎ウイルスと全く同じであると考えられています。ですからB型肝炎ウイルスはヒトからチンパンジーへとあるいはチンパンジーからヒトにも感染します。そのためにチンパンジーはヒト肝炎ウイルスの感染実験と、治療ならびに予防法開発のために使われてきました。

 チンパンジー以外の動物のB型肝炎ウイルスはヒトには感染しませんが、肝炎ウイルス持続感染がおこす病気の研究に役立っています。代表はウッドチャックとアヒルのB型肝炎ウイルスです。それぞれ肝細胞癌とウイルス増殖の仕組みを知る上で、今までにとても役にたちました。ヒトでは、生下時にB型肝炎ウイルスに母児感染してから肝細胞癌の発症までに、少なくとも40年から50年もかかります。ウッドチャックでは全ての出来事が数ヶ月以内に起こるので、その経過を詳しく調べることができます。

 E型肝炎ウイルスは、ブタなどの家畜とネズミにもいることがわかって、特にブタのE型肝炎ウイルスはヒトE型肝炎ウイルスと殆ど見分けがつかないくらい、よく似ています。ですからヒトからブタ、あるいはブタからヒトへとE型肝炎ウイルスが伝染する可能性がありますし、その証拠も出始めています。これを「人畜共通感染症」といいます。

 A型・E型肝炎ウイルスの感染経路

 A型E型の肝炎ウイルスには、ウイルスに汚染された飲料水あるいは食物を、飲んだり食べたりすると感染します(図2)。これら二つのウイルスには“外殻”(エンベロープ)がないために加熱、酸、アルコールおよび洗剤で消毒することが難しいのです。もちろん、液体でしたら飲む前に沸騰させ、それ以外でしたら十分に煮るか焼けば肝炎ウイルスは死んでしまいますので、感染の危険性がなくなります。経口感染するこれらのウイルスは、胃の中の酸に壊されることなく腸にまで行って、そこから血液の中に侵入して、門脈を通り、肝臓に到達して肝細胞に感染します。そして肝臓の中で増殖し、そのために肝炎が起こります。沢山のウイルスが胆汁を通って腸のなかに排泄され、それが便の中に出てきます。便が下水から飲料水のなかに混入して、消毒が不十分であると大勢の人々が感染します。また、川から海の中にウイルスが放出されると、貝類がそれを取り込んで、ふるいにかけて濃縮します。肝炎ウイルスを含む貝類を十分に加熱調理しないで食べると、食べた人が感染して、一度に沢山の人々に肝炎がおこることになります。

 A型E型の肝炎ウイルスに感染してからの経過はよく似ています(図3)。一つ注意しなくてはならないことがあります。風邪のウイルスでも同じなのですが、感染した人に症状が出る以前から、他人にウイルスを感染させることができるのです。その間にもウイルスが盛んに増えて、便の中に排泄されるためです。また、肝炎の症状がおさまってからも数週間はウイルスの便中排泄が続きますので、この間は感染が広がる可能性があります。

 E型肝炎ウイルスは、A型肝炎ウイルスに比べて糞便中に排泄されるウイルス量が桁違いに少ないので、たとえ感染者が出ても、家族が感染することはA型よりずっと少ないと考えられています。また、そのために食物を介して感染することも少なく、かなりの量が飲料水に混じった時だけ、爆発的な流行が起こります。

 E型肝炎ウイルスは、A型肝炎ウイルスと比べて感染性が少ないために、感染する人が少ないのですが、いったん感染すると症状はA型に比べてずっと重くなります。A型肝炎ウイルス感染後に、劇症肝炎になる割合は0.1%ですが、E型肝炎ウイルスに感染すると1%もの人が劇症肝炎(脳症状が出て、多くが数週間で死亡する恐ろしい病気です)となります。妊娠後期の妊婦が感染すると、この割合が20%にも増加しますので、インドなどE型肝炎ウイルスが蔓延している国では妊婦が感染しないよう細心の注意が必要です。

 A型およびE型の肝炎ウイルスに感染してから3〜4週たって、ちょうど症状が出始める頃、血液中に抗体ができます。A型肝炎ウイルスに対するIgG型の抗体は感染後とても長く続くので、治ってからは再び感染することはありません。しかしE型肝炎ウイルスに対するIgG抗体は長続きせず、また再感染を防ぐ力が弱いと考えられています。ですからA型肝炎ウイルスにかかると一生の間二度とこのウイルスには感染しませんが、一度E型肝炎ウイルスにかかっても再び感染する危険があります。IgM抗体は感染の初期だけに作られ、短時間で消滅しますので、それが検出されれば急性のA型肝炎ウイルスE型肝炎ウイルス感染の診断に役立ちます。

 B型・C型肝炎ウイルスの感染経路

 B型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスは、両方とも血液を媒体として感染します。ウイルスに汚染された血液が、注射針などによって皮膚を貫いて体に入ったときだけ感染しますので、その機会は限られています。B型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスの感染様式はだいぶ違っています(図4)。

 B型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスと比べて血液中の濃度が千倍以上も高いので感染性がずっと高いのです。B型肝炎ウイルスは有史以前から、感染した母親からの出産時、産道通過中に児で生じる擦過傷から母児感染するか、感染者との性的接触によって人から人へと伝染していました。近年、輸血や注射などが普及してからは医療行為によっても感染が広がりました。B型肝炎ウイルスに汚染された針を使った入れ墨によっても、感染がおこります。日本では献血者のB型肝炎ウイルス検査が、1972年から実施され、1989年には検査法が改善され、以来輸血後B型肝炎は事実上消滅しました。

 感染力の弱いC型肝炎ウイルスは、母児感染と性的感染が非常に少なく、それがほとんどないと考えている研究者もいるくらいです。“近代”医学が普及してから急速に世界に広まった、新しい肝炎ウイルスということができます。1989年にC型肝炎ウイルスが発見されてから、日本では世界に先駆け献血・血液を検査して、もし感染があればその血液を輸血しないようになり、特に検査法が改善された1992年以降は輸血後C型肝炎も事実上消滅しました。世界では、輸血・血液のC型肝炎ウイルス感染を調べない国々がまだ沢山ありますし、同じ注射器と針を使った麻薬注射の回し打ちが若い男性の間で広まっている国々では、C型肝炎ウイルス感染が今でも増加しています。幸い日本では、今のところ麻薬の静脈注射はごく少ないようなのですが。

 世界中で現在、約3億5千万人がB型肝炎ウイルスに持続感染し、約1億7千万人がC型肝炎ウイルスに持続感染していると推定されています。日本だけに限っても、百万人以上がB型肝炎ウイルスに持続感染し、同じく百万人以上がC型肝炎ウイルスに感染しているだろうと予想されています。特にC型肝炎ウイルスに長期間感染した人の中には、肝細胞癌が毎年3万例近くも発症しています。新しく感染する人はほとんどいないので、既にB型肝炎ウイルスあるいはC型肝炎ウイルスに持続感染している人を早く見つけて、肝細胞癌にならないよう手を打たなければなりません。手始めとして、40歳以上から5年ごとに行われる節目検診でB型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルス感染を見つけだす検査が、2002年の4月から開始されました。肝細胞癌予防の方式として、世界の模範となる成果が期待できます。

 肝炎ウイルスに対する心構え

 感染経路がわかっていれば、肝炎ウイルスを恐れる必要は全くありません。便を介して経口感染するA型肝炎ウイルスE型肝炎ウイルスに対しては、清潔に心がけ、口に入るものは全て加熱消毒し、食事の前には手をよく洗えば予防できます。また、E型肝炎ウイルスがブタから人畜共通感染する経路も、食べる前に豚肉を十分に加熱消毒すれば防ぐことができます。昔から「豚肉はよく熱を通してから食べるように」との言い伝えがあり、賢い知恵だと思われます。ブタは幼少時の一定期間だけ感染し、まもなく治癒します。ですから生後6ヶ月後に出荷される成ブタはE型肝炎ウイルスを持っていませんので(抗体を持っています)、感染の危険性はないと考えて良さそうです。

 血液を介して感染するB型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスの予防はもっと簡単です。今では輸血を介した、あるいは病院と診療所で静脈注射を受けることによる医原性の感染は殆どありません。ですから、麻薬静注の回し打ちと、不特定多数の異性または同性との性的接触がなければ、感染の危険性は全くないのです。

 それでも、激しいスポーツなど肉体的接触による不慮の出来事で、出血から外傷を介して、肝炎ウイルスが感染する危険があります。また、外食でおにぎりとハンバーガーを食べる前に、うっかりして手を洗わないことがあるかもしれません。そのため、すべての感染の危険を回避するためには、予防ワクチンが必要です。現在、A型肝炎ウイルスB型肝炎ウイルスの感染を予防できるワクチンが開発されていて、希望があれば接種してもらうことができます。実際に、職業的危険がある医療従事者と、B型肝炎ウイルスに持続感染している母親から生まれてくる新生児にはB型ワクチンの接種が行われています。

 しかし現在でもE型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスに対するワクチンはありませんし、開発のめどもたっていませんから、まだまだ予防の注意が必要です。くれぐれもご用心ください。