肝細胞癌:二十一世紀の国民病

 日本はいまや世界一の長寿国となりました。2002年の調査では、新たに誕生する男子は78歳まで、女子はもっと長く85歳まで生きることができます。困ったことに、歳をとるにつれて増える病気があります。その代表例が悪性腫瘍で、いわゆる「癌」です。図1は2001年の日本人死亡原因の上から5位までを、人口10万人あたりの数で比較したものです。悪性腫瘍による死亡が1位をしめ、2位の循環器疾患(心筋梗塞、心不全など)と3位の脳血管疾患(脳溢血、脳梗塞など)の2倍近くありますし、4位の肺炎と5位の事故死をも大きく引き離しています。

 血液によって伝搬され、持続感染するB型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスの一番恐ろしい結果である肝細胞癌の頻度も、長寿化につれて増加してきました。日本ではB型肝炎ウイルスに持続感染している人が100万人以上、C型肝炎ウイルスに感染している人も120万人ほどいます。幸いなことに新たに感染する人は殆どいませんが、数10年も以前に感染した人々が次々に発癌年齢に到達して、その数が現在増え続けていることが、肝細胞癌が増加し続けている原因です。かつての医師会長武見太郎先生が「肝炎は二十世紀の国民病」といわれました。それがいまでは「肝細胞癌は二十一世紀の国民病」にもなりかねない勢いです。B型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルス持続感染者に起こる肝細胞癌には、いろいろな側面があります。今回は、肝細胞癌の頻度からみた実態と変遷、ならびにその原因だけに絞ってお話しし、肝細胞癌がどのようにして「発生」するか、どのように「診断」し、そして「治療」するかは、別の機会に譲りたいと思います。

 男女別・年齢別にみた年間の肝癌死亡

 肝臓にできる癌には、二通りあります。ひとつは肝臓自身からできる癌で、これを「原発性肝癌」と云います。もうひとつは他の臓器の癌、たとえば胃癌とか大腸癌の細胞が、門脈を通って肝臓に到達し、そこで成長する「転移性肝癌」です。また肝臓には基本となる肝細胞の他に胆道系の細胞がありますから、原発性肝癌にも二通りあります。すなわち、肝細胞癌と胆管癌で、肝炎ウイルスが原因となっている場合には、全て肝細胞癌だと断言できます。全てをひっくるめて圧倒的に多いのは肝細胞癌ですが、組織を詳しく調べないと厳密に区別することが難しい場合があります。このような事情があるので、死亡統計では「肝癌」、肝炎ウイルスが関連している場合には「肝細胞癌」として、この二つを使い分けることにしました。

 2001年に死亡した癌患者で癌が発生した臓器別の頻度を男女で比較すると図2のようになります。男性では肺癌と胃癌に次いで肝癌が第3位を占めます。4位が大腸癌で5位が食道癌と続きます。女性での肝癌は胃癌、大腸癌と肺癌に次いで第4位にあり、女性に特有な癌である5位の乳癌よりも頻度が高くなっています。これから年とともに肝癌が増加することが確実に予想できますので、肝癌の順位は男性でも女性でも近い将来に上がっていく筈です。

 臓器以外にも、女性の癌患者は男性の癌患者と比べて、様子がずいぶん違っています。全体として10万人当たりの死亡数が男性と比べてずいぶん少ない、と思われませんか? ざっとみて半分くらいですが、絶対数でも2001年で男性の癌死亡が10万人当たり209人、女性で103人ですから、男性が女性の二倍も多く癌で死亡しています。勿論、肝癌も男性上位でもっとこの傾向が強く、肝炎ウイルスが原因になる肝細胞癌では、男女比が3対1から4対1もあります。2000年の男女別、年齢別の肝癌患者を比較しますと、図3のようになります。男女とも、40代から80代のなかばまでに肝癌が集中していますが、40歳以下の若い人にも肝癌が発生します。また、男女ともなだらかな山の形となっていますが、よく見ると、男性のピークは60〜64歳にあり、女性ではもう少し高齢にあります。全体のパターンと平均年齢から、女性の肝癌は男性より5年くらい遅れて発症することが知られています。

 世界と日本の肝細胞癌分布

 世界的にみても、また日本に限っても、肝細胞癌の頻度は地域によって大きく違います。その違いは、B型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスの持続感染が、過去のどの時点に始まって現在どのくらい蔓延し、特に癌年齢に達した人々での感染頻度がどの程度あるかによって決まります。ですからマクロとしてつかみにくく、ミクロで見るとたとえ同じ国でも大幅な地域差がでてきます。日本では「国民病」の様相を呈してきましたので、例外的に詳しく調べられていますが、他の国々ではごく一部を除いて肝癌の実態がまだ正確に把握されていません。

 でも、そういっていては始まりませんから、大胆に大陸別の肝癌頻度を比較してみましょう(図4A)。やはりアジアとアフリカで多いことがわかります。アジアでは、タイ、中国と日本で多く、いずれも人口10万人あたり年間30人をこえます。アフリカは正確な実態はつかめませんが、世界で最高であることは確かです。肝炎ウイルスだけでなく、穀物に寄生するカビの毒である“アフラトキシン”が肝細胞癌の原因となりますので、それとの相乗作用が働いています。これに比べると、北米の頻度が極端に低く、オーストラリアとヨーロッパがこれに続きます。

 日本の肝細胞癌は、地方によって大幅な違いがあり、「西高東低」に分布しています(図4B)。10万人当たりの年間肝癌死亡率を比較しますと、30人以上を越える県は全て西日本にあります。山梨県だけは例外で、東日本にありながら、30人を越えています。これは、かつて日本住血吸虫治療のために、アンチモン製剤を静脈注射し、当時は注射器と注射針の消毒が十分でなかったので少数の患者さんに感染していたC型肝炎ウイルスが県中に拡散したため、と想像されています。

 

 肝細胞癌の原因

 人口10万人当たりの年次毎・原因別の肝細胞癌による死亡数をグラフにすると、図5のようになります。このたった一つのグラフから、沢山の重要な情報が得られます。まず、1970年代の後半から肝細胞癌の死亡が、恐ろしい勢いでコンスタントで上昇し続けています。グラフにはありませんが、この傾向は1995年以後も現在に至るまで一直線に続いています。それどころか第五話図3でご覧になるような右肩上がりのC型肝炎ウイルスキャリア・年齢別頻度からみて、この上昇傾向は少なくとも2005年から2010年頃までは続くと予想されています。

 原因として、勿論B型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスがありますが、それぞれの占める割合が、年とともにずいぶん変わってきています(図5)。B型肝炎ウイルスが原因となる、肝細胞癌の人口10万人当たりの死亡数は過去20年を通じて4例くらいで、ほとんど変わっていません。近年の増加は、水色の部分で表されるB型肝炎ウイルス以外の原因が、急速に増えたことによって起こったものであることがわかります。以前この部分は非A、非B型といわれていました。1990年にC型肝炎ウイルス感染の診断ができるようになって、これが非A、非B型肝細胞癌の大部分を占め、近年の急速な増加の原因であることがはっきりしました。

 世界的規模でみますと、アジアとアフリカを中心として、3億5千万人も持続感染しているB型肝炎ウイルスが原因となる肝細胞癌の患者数の方が、C型肝炎ウイルス原因よりまだ圧倒的に多いのが現状です。一方C型肝炎ウイルスが世界中で1億7千万人もに持続感染し、その数は増え続けています。やがて肝細胞癌の原因として、C型肝炎ウイルスB型肝炎ウイルスに肉薄する時代が来るでしょう。日本がたどった肝細胞癌の軌跡と現状からそれが予測できます。

 日本では、先進国としては例外的に、肝細胞癌でC型肝炎ウイルスが原因となる割合がとても高いのです。このことが、日本と米国との間で、肝細胞癌の原因を比べるとよくわかります(図6)。日本では、B型肝炎ウイルスが約15%、C型肝炎ウイルスがほぼ75%で残りの約10%が原因不明です。一方米国ではB型肝炎ウイルスが8%位ありますが、ほぼ全例がB型肝炎ウイルスが蔓延しているアジア諸国からの移民とその子孫に発症しています。C型肝炎ウイルスは倍以上の20%位ありますが、それでも日本よりはずっと少ないのです。

 米国では肝細胞癌症例の約4分の1がアルコール多飲家ですが、日本ではアルコールを飲むだけでは肝細胞癌にまで進展することは少ないと考えられています。これは「飲兵衛」にとって朗報ですが、あまり度を超して飲むのは、やはり危険です。その証拠として、C型慢性肝炎の患者さんがお酒を飲むと、肝硬変への進行速度が速く、従って肝細胞癌発症の危険率が高くなることが証明されています。それにしても、日米でアルコール性肝細胞癌の発症が極端に違う原因は何なのでしょうか? 飲む量が桁違いに違うのか人種差か、あるいは両方だとは思うのですが。

 米国では原因不明の肝細胞癌が半分近くもあり、割合としては日本と比べて約5倍もあります。でも、原因不明の肝細胞癌の人口10万人当たりの症例数は、不思議なことに、世界中であまり違わないことがわかっています。図6では、日米の肝癌を表す円(パイ・グラフ)の大きさを同じに描いてありますが、人口10万人当たりの肝細胞癌の症例数は、日本の方が米国より5倍以上も多いのです。実際には米国の円グラフの面積を5分の1くらいに縮小する必要があり、そうすると原因不明の黄色の部分が日本とだいたい同じ面積になります。

 日本に限っても、また世界的規模でみても、長年にわたるB型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルス持続感染の結果として起こる肝細胞癌の発症数が増え続けています。日本は、たまたまC型肝炎ウイルス感染が国内に広まった時期が、世界のどの国と比べても数10年以上早かったのです。そのためキャリアの頻度はあまり高くないのに(米国と同じ1%程度です)、どの国と比べてもC型肝炎ウイルス感染が原因となる肝細胞癌の発症頻度が、圧倒的に高くなっています。現在C型肝炎ウイルス感染が問題となっている他の国々でも、日本がたどった歴史を繰り返すことが予想されます。この意味で、日本はC型肝炎ウイルスが原因となる肝細胞癌の「先進国」といえます。日本では、これから本格的に肝炎ウイルスによる肝細胞癌への対策が始まりますので、それについても全世界にお手本を示したいものです。