衝撃のマスコミ報道

 2002年7月21日発行の読売新聞朝刊に、「E型肝炎で3人死亡」の大きな見出しに続いて、驚くべき記事が掲載されました。それがきっかけとなって、他の新聞とテレビ報道でも大きくこの問題が取り上げられ、国中に大騒動が起こりました。その理由は三つあります。第一に、それまでE型肝炎ウイルスは、発展途上国にだけある「風土病」と考えられていて、日本を初め、西欧の文明国には存在しないと考えられていました。たまたま文明国でE型肝炎と診断された患者さんがあっても、大抵は過去2カ月以内にE型肝炎ウイルスが蔓延している発展途上国に渡航した経験があったので、よけい日本にはないと思われていたのです。

 第二に、E型肝炎ウイルスがおこした劇症肝炎の結果、3人もの方々が亡くなったことがあります。そして第三に、引き続き翌日の7月22日に朝日新聞に載った記事が、まるで火に油を注ぐように問題を拡大しました。見出しに「E型肝炎:豚からウイルス:都内患者と遺伝子類似」とあります。東京都内の患者から検出されたE型肝炎ウイルスとよく似た遺伝子構造をもつウイルスが、国内養豚場のブタでも見つかった、というのです。E型肝炎ウイルスは感染者の便中に排泄され、それに汚染された飲料水と食物を摂取すると感染します。ですから、断言はされていませんでしたけれども、読者がE型肝炎ウイルスがブタからヒトへと「人畜共通感染」したことを疑ったとしても、不思議はありません。

 その約1年前の2001年夏には「狂牛病」騒ぎがありました。そのために、牛肉の消費量が激減しました。E型肝炎ウイルスのパニックが広がり、ブタ肉も以前より食べにくくなるのであれば、これは国民全体の栄養にも関わりかねない、ゆゆしき問題です。

 ですけれども、冷静に考えて正しく対処すれば、恐れることはありません。血液によって伝搬されるB型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスはおろか、E型肝炎ウイルスと同じように糞口感染するA型肝炎ウイルスと比べてさえ、E型肝炎ウイルスが日本人の健康に及ぼす影響は、ずっとずっと少ないのです。

 いたずらにE型肝炎ウイルスの影におびえるよりは、まずその実態を正しく把握することです。そこで、E型肝炎ウイルスがどのくらいの頻度でどのような病気を起こし、またブタを初めとする家畜ならびに野生動物の感染状態はどうなっているか、そして動物からどのようにして感染が伝搬する可能性があるか、を理解することが重要です。それを知れば、E型肝炎ウイルスに感染しないように、どのような手立をとれば良いかが、自然に分かってくる筈です。

 E型肝炎ウイルス感染とE型急性肝炎

 E型肝炎ウイルスA型肝炎ウイルスと同様に糞口感染し、血液伝搬性のB型肝炎ウイルスC型肝炎ウイルスとは違って、急性(一過性とも云います)感染するだけで慢性(持続性)感染はしません。ですから、E型肝炎ウイルスに感染しても、慢性肝炎、肝硬変あるいは肝細胞癌になることはありません。不思議なことに、子供がE型肝炎ウイルスに感染しても症状はなく、たとえあったとしても、ごく軽くすみます。しかし、大人になってからE型肝炎ウイルスに感染するとA型肝炎ウイルス感染より肝炎の症状がでる頻度が10倍もあり、また症状が重く劇症肝炎で死亡する確率も高くなります。特に、妊婦が妊娠後期の4ヶ月間にE型肝炎ウイルスに感染すると、約20%もが劇症肝炎となります。高齢の男性が感染しても、劇症肝炎になりやすいことが知られています。下水の浄水設備が不十分である発展途上国では、E型肝炎ウイルスを含む糞便が飲料水に混入すると感染爆発(アウトブレイク)がおこり、一度に10万人もの人々が感染します。その中には勿論、症状の重い人がでてきます。

 E型肝炎ウイルスHEV)感染の実態は感染頻度が高いインドで特によく調べられています。E型肝炎ウイルスは急性感染だけですので、ウイルスが血液中にいる期間は長くても1〜2ヶ月止まりです。E型肝炎ウイルスに対する抗体(HEV抗体)を測定すれば、過去に感染した人がどの位いるかわかります(図1)。10歳までに90%の国民が感染し(日本も一昔前はそうでした)、生涯免疫が続くA型肝炎ウイルス感染と違ってE型肝炎ウイルス感染は10歳までは少なく、20歳でやっと約30%がHEV抗体陽性となり、その後は増加しません。残りの70%の人には抗体がありませんので、E型肝炎ウイルスに感染する可能性があり、彼らには感染爆発が起こりうるのです。100%近くに感染の既往があり、国民のほぼ全員が免疫を獲得しているA型肝炎ウイルス感染は、爆発的に広がりようがないのです。

 HEV抗体の頻度からみて、インドではE型肝炎ウイルスA型肝炎ウイルスと同じように、環境の中に広く浸透しているのだろうと考えられます。それにもかかわらず、E型肝炎ウイルスに感染した人の割合が30歳以上で増加しないのは不思議な話です。年齢別の感染頻度からみて、E型肝炎ウイルスに一度かかっても、A型肝炎ウイルスとは違って免疫が長続きしないのかもしれません。もしそうであるなら、二度以上E型肝炎ウイルスに感染する危険があることになり、よけいに注意しなければなりません。

 E型肝炎ウイルスの遺伝子型とブタ感染

 E型肝炎ウイルスは約7,600個の塩基からできていて、全ての遺伝子情報を担うRNAを、直径が約30ナノメーター(1ナノメーターは1ミリの100万分の1)で、正二十面体の形をした「核(コア)」で覆う構造をしています。脂質を含む「エンベロープ(外核)」がないので、界面活性剤などの消毒薬では滅菌できにくい特性を持っています。全核酸配列が15%以上違う4種類の遺伝子型(それぞれI型、II型、III型およびIV型と呼ばれています)に分類されていて、それぞれの起源を示す系統発生学的関係をあらわす系統樹は図2のようになっています。アジアと西欧を含む多くの地域で、色々な遺伝子型のE型肝炎ウイルスが発見されています。

 日本では、I型、III型およびIV型の遺伝子型を持つ3種類のE型肝炎ウイルスが見つかっています。ですから、日本固有のE型肝炎ウイルスは存在せず、過去に何種類ものE型肝炎ウイルスが外国から渡来して、その後日本に定着したことがわかります。I型の特徴は、沢山のE型肝炎ウイルスが系統樹で幹の同じ場所から派生してることです。これは集団感染の特徴です。実際にE型肝炎ウイルス集団感染の発生がアジア諸国から報告されています。日本ではI型のE型肝炎ウイルスが数例報告されていますが、これは海外旅行で感染したのでしょう。IV型のE型肝炎ウイルスは、今のところアジア(図にはありませんが日本も)でしか見つかっていませんし、II型はメキシコだけにしかみられません。でもこの図は2002年に全塩基配列が調べられた少数のE型肝炎ウイルスを比較した結果ですし、世界中全ての国々で感染が詳しく調べられているわけではありません。よく調べれば、もっと正確なE型肝炎ウイルス遺伝子型の世界分布の状態が分かってくるでしょう。

 注目すべきは、III型のE型肝炎ウイルスで、発展途上国のアジア・アフリカではなく、日本と西欧を含む先進国で見つかっている点です。それぞれの国のE型肝炎ウイルスは系統樹の根本近くから大きく枝分かれしていて、明らかな地域性が認められます。その上に、ブタ由来のE型肝炎ウイルスがIII型に集中していて、しかもそれぞれが同一国の患者さんから得られたE型肝炎ウイルスと同じ枝の上にあるではありませんか? 更にまた、アメリカの患者さんから得られたE型肝炎ウイルスが、実験的にブタに感染することもわかっているのです。

 ブタでのE型肝炎ウイルス集団感染

 ブタは豚舎で集団的に飼育されています。豚舎の中に一頭でもE型肝炎ウイルスに感染しているブタがいれば、糞口感染するE型肝炎ウイルスが飼育されているブタ全員に広がるであろうことは、想像に難くありませんし、実際にそうなのです。しかし、生後の月数(月齢)によって、ブタのE型肝炎ウイルス感染状態はずいぶん違っています。ブタは生まれてから6ヶ月まで豚舎で肥育され、その時点で食肉として市場に供給されます。豚舎で飼われているブタで生後6ヶ月までの月齢別・血液中E型肝炎ウイルスHEV抗体の頻度は、図3のようになります。

 感染の機会は間違いなく高いのですが、生後約2ヶ月近くまでの幼ブタはE型肝炎ウイルスに感染していません。母親の母乳の中に分泌型(IgA型)のHEV抗体が含まれていて、それによって幼ブタのE型肝炎ウイルス感染が防御されているのです。その後、普通の飼料を食べるようになると、感染しているブタの糞便に含まれるE型肝炎ウイルスに感染します。感染の期間は生後3〜4ヶ月に集中していて、その間にはブタの一部で血液中にE型肝炎ウイルスが検出されます。そして生後6ヶ月に出荷される時には、ほぼ100%のブタがE型肝炎ウイルス感染を経験し、既に治癒してHEV抗体を持っています。したがって食肉となり、市場に供給されるブタにはE型肝炎ウイルスを持っているものは殆どいませんから安心です。でも、勿論ブタ肉は十分に加熱してから食べるべきです。古くから「ブタ肉はよく火を通してから食べろ」と言われているではありませんか? 昔の人は鋭い英知を持っていたのだろうと思いますし、ひょっとしてその時代からE型肝炎ウイルスがブタに蔓延していたのでしょうか? 多分、集団肥育が行われるようになって以来のことだとは思いますが。

 ブタだけでなく、イノシシとシカにも

 2002年7月のブタE型肝炎ウイルス感染騒動の約1年後、2003年の晩春に日本のある地域でシカあるいはイノシシを食べた人の中にE型急性肝炎が発症して、そのうち1人が劇症肝炎で死亡したので、大問題となりました。いずれの感染も、通常はよく煮炊きしてから食べるブタ肉とは違って、かなり特殊な食べ方をした後におこりました。近年、森林開発が進むにつれて、野生動物と人間が接触する機会が増加しています。以前と比べて餌が減ってきたせいでしょうか、シカやイノシシが人里に降りてきて、農作物を荒らし甚大な被害をおよぼす所もあります。また、車道を横断することもあって、「イノシシに注意!」と書いた道路標識が見られる地域もある位です。そのためにハンターがある期間、ある数量に限って野生のシカやイノシシを狩猟することが許可されています。

 問題は、シカとイノシシ肉の食べ方です。シカ肉は冷凍した生肉を半解凍して、クジラのお刺身のように食べると美味しいのだそうです。また貴重品なので、捕獲されるとご近所や親戚・友人にお裾分けする風習があるようです。野生シカの生肉を数回にわたって食べた複数の家族の中で4名が、食後7〜8週後にE型急性肝炎を発症しました。幸いに、全員が経過良好で死んだ人はいませんでした。奇跡的に、余ったシカ肉が冷凍保存されていました。そこから得られたE型肝炎ウイルスの部分的塩基配列が、患者4例の血液中に検出されたE型肝炎ウイルスと、まるで指紋のように一致していたので、シカからヒトへとE型肝炎ウイルスが伝染した直接証拠が得られました。今までにブタとヒトから得られたE型肝炎ウイルスで遺伝子型が一致したように、人畜共通感染の間接証拠は沢山ありましたが、これが動かぬ直接証拠となりました。

 また、他のある地方では、野生のイノシシが狩猟されると仲間内でその「生キモ」を食べる風習があるようです。友人同士の初老男性2人が数ヶ月間に何回もイノシシの生キモを一緒に食べました。その後2人ともE型急性肝炎になり不幸にも年長の1人は劇症肝炎で死亡しました。この例では生キモがもう残っていなかったので、E型肝炎ウイルスの検査はできませんでしたが、E型肝炎ウイルスは肝臓で増殖しますから“キモ”の中にはきっと沢山いたのだろうと思われます。

 野生のシカとイノシシは、ブタと違って何百頭・何千頭が集団行動するわけではありません。もしそうならブタと同じように、生後3〜4ヶ月の動物だけがE型肝炎ウイルスに感染していて、もっと幼いシカとイノシシは母乳中のHEV抗体に保護されていることになります。従ってハンターに狙われる位に成長したシカとイノシシは、全員が過去の感染から回復してHEV抗体をもっている筈です。つまり、野生動物が豚舎のブタのようにいつもE型肝炎ウイルスに感染していて、E型肝炎ウイルスの貯蔵所となっていると考えるには無理があります。一つの可能性として、ヒトを感染させたシカやイノシシが、狩猟された7〜8週くらい前に人里に降りてきて、そこで集団飼育されているブタか、偶然E型肝炎ウイルスに感染していたヒトの排泄物に接触していた可能性があります。

 人畜共通感染ではありますが、成長したシカとイノシシが人里におりてきて飼育ブタまたはヒト由来のE型肝炎ウイルスに感染し、血液中にウイルスが沢山いた時期にたまたま捕獲されたのではないでしょうか? そして彼らの肉またはキモを生で食べた人にE型肝炎ウイルスをうつした、と考えた方が良さそうです。ですから、野生のシカとイノシシからのE型肝炎ウイルス感染は、例数がかなり少ないと予想できますし、ひょっとして彼らの方が感染させられた被害者なのかもしれません。

 理想的なE型肝炎・経口ワクチン

 遺伝子工学の技術を使って、E型肝炎ウイルスの核(“コア”と云います)だけを多量に作ることができます(図4)。核を構成する核タンパクの合成を指令する遺伝子(第二読みとり枠にあります)を、植物の根で繁殖する細菌(アグロバクテリア)に寄生する微生物(“ファージ”といいます)の遺伝子に組み込みます。すると、それが寄生した細菌は植物細胞の中でE型肝炎ウイルスの核をたくさん作ります。中にE型肝炎ウイルスの遺伝子を担うRNAがいないので感染性はなく、「中空粒子」と云われています。中空粒子をネズミに食べさせますと、HEV抗体ができて免疫を獲得し、その後にE型肝炎ウイルスを含む餌を与えても感染しなくなります。理論的には、この方法でどの植物にもE型肝炎ウイルスの中空粒子を作らせることが可能です。ブタが好きそうなジャガイモなんかに中空粒子を作らせて、それをブタに食べさせれば、E型肝炎ウイルスに対する免疫を獲得して、感染から保護される筈です。幼ブタには、中空粒子を沢山作るように遺伝子操作した大豆から豆乳を作って飲ませた方が、喜ぶかもしれません。いずれにしても、この方法が認可・実用化されれば、ブタをE型肝炎ウイルスの感染源から除外することができるはずです。

 勿論、E型肝炎・経口ワクチンはヒトにも利用できるはずです。E型肝炎ウイルスが蔓延している発展途上国に、営業の目的か観光のために旅行する方々が、渡航する数ヶ月前に中空粒子を沢山含むトマト(キャベツ、人参などお好みの野菜でも)を1個たべる、なんていう時代がやがて来るかもしれません。

 この経口ワクチンは、E型肝炎ウイルス感染防止のため特に絶大な効力があります。感染症の急性期にできるIgM抗体もそれ以後長く持続するIgG抗体も、血液中にあります。しかし、それ以外に分泌型のIgA抗体があって、全身ではなく、唾液とか母乳あるいは腸の中にも分泌されます。経口ワクチンによって獲得されたIgA型のHEV抗体も、勿論腸の中に分泌されます(図5)。食物と飲料水の中に含まれているE型肝炎ウイルスが感染をおこすわけですから、腸の中にE型肝炎ウイルスと水際で直ちに結合して感染を防ぐことができるIgA型のHEV抗体があれば、とても都合が良く効果的に感染を予防することができます。この状態を「腸管の局所性免疫」といっていますが、経口ワクチンはE型肝炎ウイルス感染予防のために、まさしく理想的といえます。

 危険につき「立ち入り禁止」

 日本ではE型急性肝炎も、勿論E型劇症肝炎も、ようやく表面化した段階で、まだ数はとても少ないのです。しかし、用心するにこしたことはありません。出荷される月齢6ヶ月以上の成ブタの精肉中にE型肝炎ウイルスがいる可能性は、まずないか、極めてまれであると云って良いでしょう。でも、先人の教えを守って、ブタ肉はよく煮るか焼いてから食べることが必要です。

 また、シカやイノシシの一部がE型肝炎ウイルスに感染していることが判明した以上は、これら動物の肉や、まして“キモ”を生で食べることは厳に慎むべきです。まだ調べられていませんが、野生のクマ、タヌキ、ウサギなどの中にもE型肝炎ウイルスに感染している動物がいるかもしれません。大都会の野ネズミは、かなりの割合でE型肝炎ウイルスに感染していることがわかっています。

 日常生活でも一歩家の外にでれば、それだけでいろいろな危険があります。横断歩道を渡る時には、交通信号を守らなければなりませんし、たとえそれを守っていても、無謀な車が来ないかを、いつでも右・左の順に確かめたほうが安全です。これを怠ると、命を落とすことにもなりかねません。

 E型に限ったことではありませんが、劇症肝炎は極めて健康であった人にある日、青天の霹靂のごとく突然起こり、死亡する可能性がとても高いのです。そのために、劇症肝炎発症の経過は「崖を一歩踏み外す」動作に例えられています。でしたら、崖の近くに「立ち入り禁止」の立て札を立てて、多くの人々に注意を喚起しなければなりません(図6)。シカやイノシシの肉を生食すると、E型急性肝炎になる危険性があり、運が悪いとそのために死ぬかもしれない、という事実をご存知ない方々も、まだ多数おられると思います。その危険性を地方自治体と保健所の広報で徹底的に、そしてシカとイノシシを生食する可能性が考えられる地域住民と飲食業者にむけて特に重点的に、公知させる必要があります。さらにまた、感染が蔓延する国に旅行する人々にE型肝炎の予防ワクチンを投与することができる日が早く来ることが望まれます。これら予防手段の結果として、日本では元々少なかったE型急性肝炎の発症は更に減少し、将来全くなくなることが予想されます。